目次
新・五行推命学
安田 靖著 上製 A5判 228頁 本体2,800円
現在広く使われている安田式五行図。
この五行図の開発により、複雑な過程を経なければならなかった推命が、わずかな勉強期間で誰でも容易にできるようになった。
はじめに
四柱推命学は、数多くある運命学のなかでも、もっとも確率の高い学問といわれております。しかし、あまりにも難解なため、誰もが理解するのは困難でした。
この複雑難解といわれる学問の原点は、中国の宋の時代にできた代表的な古典で『子平』といわれています。これはそれ以前にあった『三命通会』『滴天髄』とともに並び賞されていた大作でした。
まず、中国の徐升という人がこの運命学を研究しました。
ここから徐子平をはじめとする李虚中、劉伯温など多くの運命学者が、この「子平の法則」をもとに、時の王族の運命指導を行い、高い評価を受けたことが歴史上に残されています。
日本では明治のはじめに、桜田虎門という学者が中国の原書を研究し書物として発表したのですが、訳文の難しさから理解できない部分も多く、あまり人気はなかったのですが、日本初の四柱推命書としての高い評価を受けました。
その後、阿部泰山、高木乗などをはじめとする多くの研究者によって現在まで受け継がれております。
筆者は昭和三十四年に、はからずも初代高木乗先生の指導を受ける幸運に恵まれました。そして、この難解な推命学で、せめて自分の運命の先行きを見極めることくらいできればと考えた結果、四柱から比肩星をポイントとして「五行図」を作成することを考えつき、開発にいたりました。
この「五行図」の開発によって、複雑な過程を経なければならなかった推命が、わずかな勉強期間で誰もが容易にできるようになったと思っております。
それが現在広くつかわれている「安田式五行図」です。
振り返って私の人生を考えますと、幼少時から小学生の頃までは東京の青山で両親に育てられ、何一つ不自由のない生活を過ごしました。ところが戦中は敗戦を目前に満州へ行くことになる運命があり、苦難の連続からようやく日本に引き揚げてきて、戦後の混乱期、日本中の誰もと同様に苦しい生活のなか、何とか建築学を学び、猛勉強の結果無事卒業することができました。
卒業後就職した会社の倒産から、自分で会社を創業する幸運にも恵まれましたが、わずか三年で倒産、莫大な債務を背負い、それからというものは運命に翻弄されるままに波瀾の連続といった苛酷な人生を過ごすことになったのです。
思えば、高木乗先生に初めて鑑定していただいたとき、先生から「これから十年間は苦労の多い時期だ。それを耐えて頑張れ。そうすれば、それ以降はほぼ安定する。しかし、お前の独特な個性の強さが運を壊す。常に謙譲の気持ちをもって人生を歩け」という教えを受けました。
私の人生は、ここからはじまった四柱推命学の勉強によって大きく運を変えることができ、思ってもみなかった途を歩むことになりました。
そこで、高木先生の教えのおかげで開発できた「五行推命学」で、私の辿ってきた途を裏づけ実証してみれば、人間に備わる運勢というものを推測できる運命学、「五行推命学」を素直に納得していただけるのではないかと考え、「鑑定編」を付しました。
運命という一筋の道は、生まれ落ちたときから人それぞれがもつ性格のように人に定められています。しかし、それを知って幸せな方向へ導く力もまた、人に備わっているのだと私は信じております。
平成十八年一月吉日 安田式五行推命学会 会長 安 田 靖
目 次
四柱による五行構成図〈考案─安田靖〉 表見返し
はじめに
[基礎知識編(特)]
「四柱推命」「陰陽」「十干十二支」「五行説」「星の作用」
四柱推命と五行説とは何か
発生と史実
干支の起源
十二支の陰陽
「四柱推命」書の記録
四柱とは何か
陰陽五行とは何か
「相生」「相剋」の関係
森羅万象は五行に当てはまる
十干十二支の組み合わせ
十干
十干の陰陽
十干の五行
十二支
十二支の五行
季節 方角 月の五行
還暦は六十干支
大運 流年 天干星 地支星
大運 流年
天干星 地支星の名称とその作用
天干星の「相生」「相剋」の法則
天干星「相生」の法則
天干星の「相剋」の法則
天干星の「相生」のよい並び
剋されて発展する星
悪い並びとそれを中和する星
同一星が並んだ場合
[基礎知識編(監)]
「五行の法則」「相生」「相剋」「大過」「不足」「季節と五行」
性格、運勢を決める五行の働き
相生 引き合う関係
相剋 剋し合う関係
大過
不足
生まれた日干と季節でみる五行の働き
季節ごとの運勢の変化
季節と五行の旺相
日干 甲の場合
日干 乙の場合
日干 丙 丁の場合
日干 戊の場合
日干 己の場合
日干 庚の場合
日干 辛の場合
日干 壬の場合
日干 癸の場合
[実践編]
運勢のリズムを把握し運を掴む
五行図の作成
四柱を組み立てる
四柱の星(天干星 地支星)の求め方
五行図の書き方
【十干の五行】
【十二支の五行】
【五行図作成の順序】
干合 支合 三局とは?
【干合】【支合】
【三局】
五行図の天干星は比肩星からはじまる
五行図の星が示していること
天干星は並びで変化する
「五行構成図」の読み方 実例
1 安定の四柱および五行
五行図に●が平均して出ている場合
2 五行の比肩星に●が四つ以上集まった場合
3 五行の傷官星や食神星に
●が四つ以上集まっている場合
4 五行の正財星または偏財星に
●が四つ以上集まっている場合
5 五行の正官星または偏官星に
●が四つ以上集まっている場合
6 五行の印綬星または偏印星に
●が四つ以上集まっている場合
大運 流年で運勢は変化する
「順行」「逆行」とは?
流年について
流年の求め方
天徳貴人星は宿命への救いの手
天徳貴人星の強弱
天徳貴人星を使うには
[総合判断編]
星の並びによる総合判断の手引き
年柱、月柱にあらわれた星の並び方による変化
1 比肩星/劫財星 敗財星
2 比肩星/食神星
3 比肩星/傷官星
4 比肩星/正財星 偏財星
5 比肩星/正官星 偏官星
6 比肩星/印綬星 偏印星
7 傷官星/傷官星
8 傷官星/食神星
9 傷官星/正財星 偏財星
10 傷官星/正官星 偏官星
11 傷官星/印綬星 偏印星
12 食神星/比肩星
13 食神星/傷官星
14 食神星/食神星
15 食神星/正財星 偏財星
16 食神星/正官星 偏官星
17 食神星/印綬星 偏印星
18 正財星/偏財星 比肩星
19 正財星 偏財星/傷官星 食神星
20 正財星 偏財星/正財星 偏財星
21 正財星 偏財星/正官星 偏官星
22 正財星 偏財星/印綬星 偏印星
23 正官星 偏官星/比肩星
24 正官星 偏官星/傷官星
25 正官星 偏官星/食神星
26 正官星 偏官星/正財星 偏財星
27 正官星 偏官星/正官星 偏官星
28 正官星 偏官星/印綬星 偏印星
29 印綬星 偏印星/比肩星
30 印綬星 偏印星/傷官星
31 印綬星 偏印星/食神星
32 印綬星 偏印星/正財星 偏財星
33 印綬星 偏印星/正官星 偏官星
34 印綬星 偏印星/印綬星 偏印星
[鑑定編]
安田式五行推命学開発にいたるまで
[鑑定1]日本の命運 日米開戦の事象
昭和16年12月8日
[鑑定2]私の命運 一家の渡満計画
昭和18年10月
「鑑定3」日本の命運 敗戦の事象
昭和20年8月15日
[鑑定4]私の命運 新京で東光市場開設
昭和21年4月
[鑑定5]私の命運 引き揚げ船で満州から帰国
昭和21年10月
[鑑定6]私の命運 興和工学院建築本科卒業
島藤建設入社 昭和24年3・4月
[鑑定7]私の命運 沖縄米軍施設工事のため
沖縄へ転勤 昭和26年4月
[鑑定8]私の命運 沖縄米軍施設工事完了 本社勤務
昭和28年6月
[鑑定9]私の命運 島藤建設倒産 昭和28年10月
[鑑定10]私の命運 結婚 昭和29年10月
[鑑定11]私の命運 大興建設株式会社設立
昭和30年4月
[鑑定12]私の命運 大興建設株式会社倒産
昭和33年10月
[鑑定13]私の命運 四柱推命学との出会い
昭和34年4月
[鑑定14]私の命運 銀座島藤建設入社
昭和36年4月
[鑑定15]私の命運 島藤建設倒産 新田建設入社
昭和39年10月
[鑑定16]私の命運 新田建設倒産
昭和41年
[鑑定17]私の命運 M建設株式会社入社
昭和42年4月
[鑑定18]私の命運 N建設株式会社に転職
昭和45年4月
[鑑定19]私の命運 N建設株式会社定年退職
昭和58年8月
あとがき
参考文献 参考資料
四柱推命の主な図表
干支表(万年暦)2005年〔平成17年〕~2026年〔平成38年〕
安田 靖著 上製 A5判 228頁 本体2,800円
現在広く使われている安田式五行図。
この五行図の開発により、複雑な過程を経なければならなかった推命が、わずかな勉強期間で誰でも容易にできるようになった。
はじめに
四柱推命学は、数多くある運命学のなかでも、もっとも確率の高い学問といわれております。しかし、あまりにも難解なため、誰もが理解するのは困難でした。
この複雑難解といわれる学問の原点は、中国の宋の時代にできた代表的な古典で『子平』といわれています。これはそれ以前にあった『三命通会』『滴天髄』とともに並び賞されていた大作でした。
まず、中国の徐升という人がこの運命学を研究しました。
ここから徐子平をはじめとする李虚中、劉伯温など多くの運命学者が、この「子平の法則」をもとに、時の王族の運命指導を行い、高い評価を受けたことが歴史上に残されています。
日本では明治のはじめに、桜田虎門という学者が中国の原書を研究し書物として発表したのですが、訳文の難しさから理解できない部分も多く、あまり人気はなかったのですが、日本初の四柱推命書としての高い評価を受けました。
その後、阿部泰山、高木乗などをはじめとする多くの研究者によって現在まで受け継がれております。
筆者は昭和三十四年に、はからずも初代高木乗先生の指導を受ける幸運に恵まれました。そして、この難解な推命学で、せめて自分の運命の先行きを見極めることくらいできればと考えた結果、四柱から比肩星をポイントとして「五行図」を作成することを考えつき、開発にいたりました。
この「五行図」の開発によって、複雑な過程を経なければならなかった推命が、わずかな勉強期間で誰もが容易にできるようになったと思っております。
それが現在広くつかわれている「安田式五行図」です。
振り返って私の人生を考えますと、幼少時から小学生の頃までは東京の青山で両親に育てられ、何一つ不自由のない生活を過ごしました。ところが戦中は敗戦を目前に満州へ行くことになる運命があり、苦難の連続からようやく日本に引き揚げてきて、戦後の混乱期、日本中の誰もと同様に苦しい生活のなか、何とか建築学を学び、猛勉強の結果無事卒業することができました。
卒業後就職した会社の倒産から、自分で会社を創業する幸運にも恵まれましたが、わずか三年で倒産、莫大な債務を背負い、それからというものは運命に翻弄されるままに波瀾の連続といった苛酷な人生を過ごすことになったのです。
思えば、高木乗先生に初めて鑑定していただいたとき、先生から「これから十年間は苦労の多い時期だ。それを耐えて頑張れ。そうすれば、それ以降はほぼ安定する。しかし、お前の独特な個性の強さが運を壊す。常に謙譲の気持ちをもって人生を歩け」という教えを受けました。
私の人生は、ここからはじまった四柱推命学の勉強によって大きく運を変えることができ、思ってもみなかった途を歩むことになりました。
そこで、高木先生の教えのおかげで開発できた「五行推命学」で、私の辿ってきた途を裏づけ実証してみれば、人間に備わる運勢というものを推測できる運命学、「五行推命学」を素直に納得していただけるのではないかと考え、「鑑定編」を付しました。
運命という一筋の道は、生まれ落ちたときから人それぞれがもつ性格のように人に定められています。しかし、それを知って幸せな方向へ導く力もまた、人に備わっているのだと私は信じております。
平成十八年一月吉日 安田式五行推命学会 会長 安 田 靖
目 次
四柱による五行構成図〈考案─安田靖〉 表見返し
はじめに
[基礎知識編(特)]
「四柱推命」「陰陽」「十干十二支」「五行説」「星の作用」
四柱推命と五行説とは何か
発生と史実
干支の起源
十二支の陰陽
「四柱推命」書の記録
四柱とは何か
陰陽五行とは何か
「相生」「相剋」の関係
森羅万象は五行に当てはまる
十干十二支の組み合わせ
十干
十干の陰陽
十干の五行
十二支
十二支の五行
季節 方角 月の五行
還暦は六十干支
大運 流年 天干星 地支星
大運 流年
天干星 地支星の名称とその作用
天干星の「相生」「相剋」の法則
天干星「相生」の法則
天干星の「相剋」の法則
天干星の「相生」のよい並び
剋されて発展する星
悪い並びとそれを中和する星
同一星が並んだ場合
[基礎知識編(監)]
「五行の法則」「相生」「相剋」「大過」「不足」「季節と五行」
性格、運勢を決める五行の働き
相生 引き合う関係
相剋 剋し合う関係
大過
不足
生まれた日干と季節でみる五行の働き
季節ごとの運勢の変化
季節と五行の旺相
日干 甲の場合
日干 乙の場合
日干 丙 丁の場合
日干 戊の場合
日干 己の場合
日干 庚の場合
日干 辛の場合
日干 壬の場合
日干 癸の場合
[実践編]
運勢のリズムを把握し運を掴む
五行図の作成
四柱を組み立てる
四柱の星(天干星 地支星)の求め方
五行図の書き方
【十干の五行】
【十二支の五行】
【五行図作成の順序】
干合 支合 三局とは?
【干合】【支合】
【三局】
五行図の天干星は比肩星からはじまる
五行図の星が示していること
天干星は並びで変化する
「五行構成図」の読み方 実例
1 安定の四柱および五行
五行図に●が平均して出ている場合
2 五行の比肩星に●が四つ以上集まった場合
3 五行の傷官星や食神星に
●が四つ以上集まっている場合
4 五行の正財星または偏財星に
●が四つ以上集まっている場合
5 五行の正官星または偏官星に
●が四つ以上集まっている場合
6 五行の印綬星または偏印星に
●が四つ以上集まっている場合
大運 流年で運勢は変化する
「順行」「逆行」とは?
流年について
流年の求め方
天徳貴人星は宿命への救いの手
天徳貴人星の強弱
天徳貴人星を使うには
[総合判断編]
星の並びによる総合判断の手引き
年柱、月柱にあらわれた星の並び方による変化
1 比肩星/劫財星 敗財星
2 比肩星/食神星
3 比肩星/傷官星
4 比肩星/正財星 偏財星
5 比肩星/正官星 偏官星
6 比肩星/印綬星 偏印星
7 傷官星/傷官星
8 傷官星/食神星
9 傷官星/正財星 偏財星
10 傷官星/正官星 偏官星
11 傷官星/印綬星 偏印星
12 食神星/比肩星
13 食神星/傷官星
14 食神星/食神星
15 食神星/正財星 偏財星
16 食神星/正官星 偏官星
17 食神星/印綬星 偏印星
18 正財星/偏財星 比肩星
19 正財星 偏財星/傷官星 食神星
20 正財星 偏財星/正財星 偏財星
21 正財星 偏財星/正官星 偏官星
22 正財星 偏財星/印綬星 偏印星
23 正官星 偏官星/比肩星
24 正官星 偏官星/傷官星
25 正官星 偏官星/食神星
26 正官星 偏官星/正財星 偏財星
27 正官星 偏官星/正官星 偏官星
28 正官星 偏官星/印綬星 偏印星
29 印綬星 偏印星/比肩星
30 印綬星 偏印星/傷官星
31 印綬星 偏印星/食神星
32 印綬星 偏印星/正財星 偏財星
33 印綬星 偏印星/正官星 偏官星
34 印綬星 偏印星/印綬星 偏印星
[鑑定編]
安田式五行推命学開発にいたるまで
[鑑定1]日本の命運 日米開戦の事象
昭和16年12月8日
[鑑定2]私の命運 一家の渡満計画
昭和18年10月
「鑑定3」日本の命運 敗戦の事象
昭和20年8月15日
[鑑定4]私の命運 新京で東光市場開設
昭和21年4月
[鑑定5]私の命運 引き揚げ船で満州から帰国
昭和21年10月
[鑑定6]私の命運 興和工学院建築本科卒業
島藤建設入社 昭和24年3・4月
[鑑定7]私の命運 沖縄米軍施設工事のため
沖縄へ転勤 昭和26年4月
[鑑定8]私の命運 沖縄米軍施設工事完了 本社勤務
昭和28年6月
[鑑定9]私の命運 島藤建設倒産 昭和28年10月
[鑑定10]私の命運 結婚 昭和29年10月
[鑑定11]私の命運 大興建設株式会社設立
昭和30年4月
[鑑定12]私の命運 大興建設株式会社倒産
昭和33年10月
[鑑定13]私の命運 四柱推命学との出会い
昭和34年4月
[鑑定14]私の命運 銀座島藤建設入社
昭和36年4月
[鑑定15]私の命運 島藤建設倒産 新田建設入社
昭和39年10月
[鑑定16]私の命運 新田建設倒産
昭和41年
[鑑定17]私の命運 M建設株式会社入社
昭和42年4月
[鑑定18]私の命運 N建設株式会社に転職
昭和45年4月
[鑑定19]私の命運 N建設株式会社定年退職
昭和58年8月
あとがき
参考文献 参考資料
四柱推命の主な図表
干支表(万年暦)2005年〔平成17年〕~2026年〔平成38年〕
内容説明
現在広く使われている安田式五行図。この五行図の開発により、複雑な過程を経なければならなかった推命が、わずかな勉強期間で誰でも容易にできるようになった。