ホーム > 周易裏街道(全2冊)

周易裏街道(全2冊)  新刊

周易裏街道(全2冊)
著者 仁田 丸久
ジャンル 運命学 > 周易・五行易
出版年月日 2017/09/11
ISBN 1885943140
判型・ページ数 菊判・1384ページ
定価 本体38,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

周易裏街道(全2冊)  
仁田丸久著 特菊判 総1384頁 本体38,000円


 解 説
                              長岡大学教授 定 方 昭 夫
 一冊3万8千円という、この高価な書物を手にされた方は、「易」とどのような関わりを持たれているのであろうか?
 既に著者「仁田丸久」氏について、何らかの知識を持っておられる方、あるいは中味については何も知らないが、「易」について詳しい知人から、本書を是非にと薦められた方、著者については全く知らないが、パラパラとめくって見たらどうも面白そうなのでひとまず買ってみる気になった方等、様々な方々が本書を購入されたかと思う。
 あるいは「易」について入門書の類を買って少しづつ占い始めた、という初心者がこの本を手に取って、「高いなア!何でこんな本がこんなに高いんだ?」といささか疑念の思いと共に、まずこの解説を読んでから買おうかどうしようかと、迷っている方も中にはいらっしゃることであろう。
 そのように迷っている方には、まずは黙って買われることをお薦めする。理由は簡単である。本書の原本は神田の専門古書店で、100万円近くするからである。本書は見ての通り原本の忠実な復刻であるから、いかに安いかは説明するまでもないことである。「それにしたって、今時何千円もする学術書が1、000部も売れるか売れないか、というのに、この値段は何だ!」と言われる方は、この細やかな拙文を最後までお読み頂いてから、購入するか否か、お決め頂きたい。筆者自身はこの値段でも十二分に安いと思っている者である。
 もう20年近くも昔、筆者が前々から耳にしていた仁田丸久述『周易裏街道』を神田の古書店で目にして、棚から下してもらい、2~3頁めくってまさに胸がときめく思いがしたものである。本を手にしてのこの興奮というのも久しぶりの思いであった。値段は何ヶ月分の給料に匹敵したものであるが、躊躇は許されない。今、この出会いを逃してはいつまた会えるか分からない、というのが古本との長い付き合いから得た知恵というものである。早速身近な銀行に飛び込んで、恥しながらカード・ローンで購入した、というのが偽らざる事情である。
 失礼ながら「易」に取り組み始めたばかりの方には、正直いって本書は余りに高度過ぎて理解し難く思われて当然であろう。
 本書1、029頁の「周易裏街道あとがき」を書かれておられる故紀藤元之介氏にして、次のような思いを書かれている。ちなみに氏は加藤大岳師の東の「易学研究」と並んで、長らく西の「実占研究」を刊行されていた方である。
「『周易裏街道』」が始めて発行された頃は何といっても私も若く、仁田先生の言っておられることが、●奇想天外●に思え若干●荒唐無稽の説を為す人●という感がし、正直のところ●付いていけない●と思ったものです。が、「時」は有難いもので、10年経って、配本の都度ゆっくり目を通してゆく内に、むかしそんなふうに思っていたことが愧かしくなってきました。どうしてどうして深いものです。●これは天下の奇書だ!●と目を見張り、膝を打って感嘆し、次回の配本を待ち遠しく思うようになりました。」
 あの紀藤氏にして、始めは本書の真価がお分かりにならなかった、ということであるからいろいろ易書を読み漁った方々の中に、本書の価値に思い至らない方がいてもおかしいことではない。「時」が解決する問題である。ただ本書は限定280部の発行であるから欲しいと思った時にはもう無いものと覚悟しなくてはならない。その意味で本書は、まず分かっても分からなくてもお手元に置きなさい、というのが老爺心ながらのお薦めなのである。
 前置きが長くなってしまった。
 本書の初版は、ご遺族のお手元にある貴重な35部の中の一部によると、昭和32年9月17日発行となっている。ちなみにこの初版はがり版刷りで、格好よくいえば油印本である。その後昭和42年5月に、和文タイプによる再版が発行されている。タイプ版が何部発行されたかは分からないが、それほど多くは印刷されていないと思われる。何といっても市場に出回る部数が少ないからである。
 本書は「仁田丸久述」とあるように、昭和30年11月1日から、ご自宅の諏訪山房にて2年もの長い間講述された講義を筆録編集したものである。いわゆる講義口調になっているのはそのためであることを了承されたい。
 仁田氏の講述には他に、『周易わかれ道』(本書収録)『易占セミナー』『うらおもて周易作法』『水晶凝視秘伝』『幽数秘策』『玄秘求深』『源氏物語と古星占秘策』があって、講義は18年半もの長きにわたって行なわれており、和文タイプの講義録は延べ232冊にも及んでいる。没後、氏の講述中より「呪術」に関する部分のみを抜き出して編集したものが『呪術とその背景』として昭和49年に出版され、平成13年に本書と同じく東洋書院より復刻されている。
 一通りそれらの講述に目を通した者として一言述べさせて頂くとすれば、多くの講述中、この『周易裏街道』こそが白眉である、というのが正直な思いである。勿論他のものは価値が低いといっているのではなく、講述の皮切りである本書でかなり良いものを出されている、ということである。
 本書で「仁田易」に開眼されて●これは!●と思われて余裕のある方は、是非他の講述にも挑戦されたらよろしいと思う。たとえ市場に出回るモノが少なかろうと、心から出会いを望んで準備ができた方のところには、必ずや縁あって届けられることになると信ずるからである。
 氏その人について語らねばならない。氏は明治33年のお生まれで、昭和48年に74歳で亡くなられた。
 小学生の時から親しんだ英語を生かして、長らく商社に勤務され、国際貿易に従事されたことが講義の端々から伺えると共に、易とその周辺にある「術」をお仕事に生かしたことがエピソードとして語られていることは興味深い。
 氏のいわば「術」のレパートリーは広い。「易」以外に「人相・占星術・測字占」等を自家薬籠中のものとされていて、講述中にもその一端を伺うことができるが、何といっても、氏の本領は「易」にあるといって間違いない。
「一生を費やして●易●の本当の意味を知ろうとしてきた。」と述べる氏の言を、本書は裏切らない。
「易」について素人ながらいささか書物を漁ってきた解説者の私でさえ、本書の前には素直に脱帽せざるを得ない。「易」の擁する世界の奥深さ、広さを本書ほど垣間見せてくれる書物というものを他に知らない(あるいは有っても筆者自身が未熟なため未だに目に入っていないのかも知れないが)。恐らく本書に比肩する易学書は本場の中国にも無いであろう。
 それだけ仁田氏は「易」の核心を掴んでおられたということである。当分の間、氏の『周易裏街道』を超えるモノは出ないであろうとしか言いようがない。
 氏は「八宗兼学」の人である。中国哲学における易学書の解釈には全く見られない観点から易を論ずる。この「八宗兼学」が並のものではない。
「20歳前後の弱冠から約10年間、私は繰り返し新・旧約聖書を読み継いで参りました。」(1031頁)この経験が本書中に生かされている。中国の歴史が生んだ「易」が何で「聖書」と関係があるのか?そういう疑問をもつ方もおられるかもしれない。そのような方には「旧約聖書」の「申命記」の「申命」が「巽為風」の彖辞「重巽以申命」から来ていると伝えればまずは足りよう。「聖書」と「易」をどう関連付けて仁田氏が読んでいるかは、それこそ本書を読んでの楽しみにとって置こう。
「易」を「霊術の書」として読む氏の立場はユニークとしか言いようがない。しかし筆者自身の体験に照らしてもそのような読み方に納得がいくが故に、氏の読み方をいやでも認めざるを得ないのである。
 筆者があることを占って「答え」(卦)を得た時、余りにも正鵠を得ていて、ただ「易経」という本の上での答えとは思えず、「易経」を借りて聖なる存在が「ワシは何でも知っておるぞよ。」という感じでのたまわれた感じをしたことが何度もあった。その時の何ともいえない感じというものは味わったことのある人ならお分かり頂けよう。
 筆者は新宿の朝日カルチャーセンターをはじめ、様々な場所でおこがましくも「易」を講ずる機会を持ったが、受講生の中から必ず「●易●は当たり過ぎて恐いから止めました。」という方が必ず出てくる。「易」のもつ恐ろしさを折角味わえたのに、といつも思う。折角「易」のもつ聖なる感じ、オットーの言うヌミーゼを味わられたのに、勿体ないなアと思わされる。その恐ろしさを味わった方にこそ、もっともっと「易」を研究していって欲しいと思う。そのような形での呼び掛けがあったのに、あたら惜しいことをしたもの、という思いが筆者の頭から離れない。
 人をして恐ろしい、と思わせる程「易」が何故当たるのであろうか?
 何で「易」が当たるのか?この問いに答えた人、納得のいくような答えを出した易学者がかっていたであろうか?
 仁田氏は言う、「繋辞伝第二章をあなた方は何と思って読んでいますか、易の古いことを説いていると思って読んだりするといけないのです。万事をただ一冊の「易経」を拠り所として行えるということは、実は、あなた方が「易経」を開いて見たときには、この本に心皿を注ぎ、「易」というものを完成した人々が、この本に就いていて、あなたの目の前にいるんだということをここで書いているのです。あの時ひょっと思い付いて、あんな判断をしたらそれが当たっていましたというのは、その時「易経」の中に籠っている人が占考している側へ来て、そこはあゝです、ここはこうですと教えてくれたのを感じ取ったからです。その時あなたは伏羲に会っていたのです。」(411頁)
 最後の一節、『伏羲に会っていた』ことが実感として感じられる方は、「易」の奥深くに参入されている方と申し上げても失礼ではないであろう。「易」は生きておられる、と言うのが筆者の実感でもある。
「易」は紙にただ字が印刷された書物であって書物ではなく、本当に生きているのである。答えを乞わんとする我々に啓示として教えを垂れてくれるまことに有難い存在なのである。続けて氏は言う、「ですから、●易●をやるときには絶えず、これらの神様を身近にまざまざと感じるようでなくてはいけません。」(428頁)
 また別のところでは次のように語る、「●易経●を見ているときは、その目の前に生ける伏羲、神農、その他の人が居るものと思えばよい。そして、その人たちに問い掛けてみるのです。そういう仕方でやる内に本当にそこに伏羲が来て教えてくれる。それを聞くことができるようになるのです。さり気なく客と話をしながら、●易●の神様達と問答するようになるのです。こうすると絶対にあなた方の●易●は進歩します。」(412頁)
「易」とどう向かい合うべきか?ここまで懇切に説いた書物は他に無い。あるいは「とてものことにそんなことは思えない。」と言う方もおられるかもしれないが、要は●思えばよい●のである。●イメージする●と言ってもよい、「想像は創造である。」と仁田氏もどこかで言っていたように思う。
 氏の八宗の一つが古神道「天行居」であり、その主宰者であった友清歓真の霊術を抜きにしては本書について語れないが、関心のある方は『友清全集』について見られたい。
 氏の蘊蓄は様々な領域にまたがる。フロイト、ユング、アードラー、ソンディ(67頁ではスツオンデイと表記されている)等の深層心理学に多くを学んでいるがそんなのは序の口というべきか。
 現在でいう「精神世界」のあらゆる分野にわたって氏は目を通されており、それらのエッセンスを「易」を読み釈く上に生かされておられるのには、何ともはや感嘆する以外にない。
 氏の蘊蓄のほどは、各卦の講述そのものに当たって味わって頂ければ一番よいので、ここではそれ以上述べる必要はないであろう。
 最後に贅言を費やすかもしれないが、「仁田易」の特徴というか、売りについて言及したい。
「易」が、朱子の言う如く、まず第一に「占筮の書」であることは、疑いの無いところであろう。しかし我々が右に行こうか、左に行こうか、本当に迷った時に占って「易」に答えを求めるだけでよいのであろうか?「易」はただの「占筮の書」なのであろうか?
「易」は我々の人生を豊かにするために、異界よりこの世にもたらされた「霊術の書」というのが、仁田氏の言である。
 第41講山沢損で、氏は語る、「今日からでも応用できることで、しかもこれを実行したら、財といわず、健康といわず、精神力といわず、すべてにおいて恵まれて、儲かって儲かってしょうがないという事を話していきたい。」(485頁)
 ただし、儲かるための条件が幾つかあって、具体的なことは本文を読んでのお楽しみにしておくが、敢えて一つだけ記すとすれば、「儲けるためには、夫妻が性的に円満なことが大切である。」(499頁)これを読むと、やはり仁田氏は「易」のもつ核心を掴んでいたなア、と思わせる。
「一陰一陽をこれ道と謂う。」とは「繋辞伝」の一節である。人間界にあって陰陽といえば男女の道である。男女の和合が●儲ける●ことの条件であるとは、人情の機微に通じた仁田氏でなければ吐けない名言ではなかろうか? ということは、つまり「易」は男女における性のあり方を、仁田氏の口を借りて述べている、ということでもある。
「易」はある意味で打ち出の小槌である。振りようによっては、無限の富を生み出す小槌である。目先のモノに捉われず、本書を通じて「易」の振り方を自分のものにされたなら●著者の、幸いこれに過ぐるものは無い●と仁田氏は彼の世で思われておるに違いない。 
    2002年1月20日記す             (さだかた あきお 心理学研究室)




 総 目 次 


【上】

解 説──定方昭夫(長岡大学教授)

第一集 卦象大意
 第一講  乾為天
 第二講  坤為地
 第三講  水雷屯
 第四講  山水蒙
第二集 第五講  水天需
 第六講  天水訟
       坎の人
第三集 第七講  地水師
       震の人 
 第八講  水地比 
       坤の人 
第四集 第九講  風天小畜
         乾の人 
 第十講  天沢履 
第五集 第十一講 地天泰 
       兌の人 
 第十二講 天地否 
       艮の人 
       呪術に付いて 
 第十三講 天火同人 
第六集 第十四講 火天大有 
       巽の人 
       測字占例 
 第十五講 地山謙 
       魔羅研究 
第七集 第十六講 雷地豫 
       潜在意識(測字) 
 第十七講 沢雷随 
       近代易相学片影 
 第十八講 山風蠱 
第八集 第十九講 地沢臨 
       無量光瞑想 
 第二十講 風地観 
第九集 第二一講 火雷噬〓 
       野口靖允先生の占例 
 第二二講 山火賁 
 第二三講 山地剥 
第十集 第二四講 地雷復 
       神秘的体験を得る法 
 第二五講 天雷无妄 
第十一集 第二六講 山天大畜 
 第二七講 山雷頤 
       行字易解 
       六十四卦画帳 
第十二集 第二八講 沢風大過 
 第二九講 坎為水 
 第三十講 離為火 
       目の人相 
第十三集 西洋伝来 夢判断 
第十四集 第三一講 沢山咸 
       呪術の原理 
 第三二講 雷風恒 
第十五集 第三三講 天山遯 
       方災術 
第十六集 第三四講 雷天大壮 
 第三五講 火地晋 
       西王母考 
第十七集 第三六講 地火明夷 
       精義入神 
 第三七講 風火家人 
第十八集 第三八講 火沢〓 
 第三九講 水山蹇 
       互卦と神通 
第十九集 第四十講 雷水解 
       太極と三密加持 
 第四一講 山沢損 
       十朋之亀 
第二十集 宋程省著 測字実験秘録 
       測字短句集 
第二一集 第四二講 風雷益 
 第四三講 沢天夬 
第二二集 第四四講 天風= 
       人の気について 
       人相と方位 
       生れた曜日の利用法 
第二三集 第四五講 沢地萃 
 第四六講 地風升 
       古事記易説 

【下】
第二四集 第四七講 沢水困 
       方災後日譚 
       霊能の根拠 
第二五集 第四八講 水風井 
 第四九講 沢火革 
       太極を知覚する方法 
第二六集 第五十講 火風鼎 
       神秘世界入門 
 第五一講 震為雷 
       音霊秘説 
       天眼通入門 
       (普観自在三昧)
第二七集 第五二講 艮為山 
       透視力入門 
       (万法皆空三昧)
 第五三講 風山漸 
       幻化相入門 
       (法如空三昧)
第二八集 第五四講 雷沢帰妹 
       (半処女考)
       神通実践入門 
       (法性実有三昧)
 第五五講 雷火豊 
       豊族ムケ魔羅考 
       神通自在入門 
       (我性実有三昧)
第二九集       天水の作り方 
 第五六講 火山旅 
       神通世界入門 
       (帝網無尽三昧)
 第五七講 巽為風 
       庚申秘説 
第三十集 第五八講 兌為沢 
       古代伝承 
 第五九講 風水渙 
       神秘世界入門(中段) 
第三一集 第六十講 水沢節 
       神通世界入門(中段下) 
 第六一講 風沢中孚 
       神通世界実覚入門 
       (秘密荘厳三昧)
第三二集 第六二講 雷山小過 
       男色考 
       ジプシー伝承 茶占 
第三三集 第六三講 水火既済 
       通力実行奥義 
第三四集 第六四講 火水未済 
       死の秘密と神変大菩薩 
第三五集 第六五講 雑卦伝の秘密 
       紀藤先生あとがき 
       仁田先生あとがき 
         
 開運秘策(全)
第三六集 易よりみたる運の掴み方 
第三七集 神通路登攣録 
      (私の霊術修業の経路)
 周易裏街道分かれ道〔注・伏字は補遺されておりません〕
第三八集 鬼神使役法 
第三九集 魔杖の使い方 
第四十集 遠隔修法抄
 奇蹟入門
第四一集 秘伝秘解
 一 天地秘印(願望成就の印)
 二 呪い返しの方法
 三 神名秘儀
 四 造化三神の念印(駄目押しに用う)
 五 奇魂と話をする法
 六 身体脱落(脱魂の法)
 七 黄泉比良坂の秘伝
 八 禊祓
 九 柔敵を征服する法
 十 柔敵を懐柔する法
 十一 幸福招来法
 十二 使徒パウロの第三の天
 十三 大国主命の神法道術
 十四 神通現象を必ず成就する法
第四二集 秘伝秘解前言

このページのトップへ